芝山石(福島県)の原石山。4t位の玉石がごろごろと・・・
白河石(栃木県)の原石山。これだけ採掘するのには、どれ位の月日がかかるのでしょうか。
ソーシャルディスタンスを保ったら、なんともまじめな昼食タイム
昨年7月に、83歳で亡くなられた永六輔さんは、生前ラジオでこの言葉をよく言っておられました。「人間は二度死にます。死んだ時、それから忘れられた時」。東京・浅草の浄土真宗のお寺の次男に生まれた永さんは、小さい時から、人の死や葬式の中で育ち、戦争での東京爆撃などで、数多くの死者を見てこられ、そう感じられたのです。
永さんの言われる「人間の二度の死」について考えてみます。
昨今「家族葬」という、故人の友人、知人、世間に葬儀の案内を知らせない家族・身内だけの葬式が流行しています。費用が安いという事ですが、ひとりの人間の一生の終わり方としては、少し寂しいものです。故人を送る言葉として「人生よく頑張った。よき子供たちを育て、よき社会人であった。長い間ありがとう」という感謝と笑顔のある葬儀であればと、永さんは思ったに違いありません。
散骨は安くつくということで、父母の遺灰(お骨を機械で粉砕したもの)を、海や山に撒く人も出てきました。まだ10年位の歴史しかありません。今年の「エンディング産業展」で、ある海洋散骨業社のブースを訪れ、パンフレットをもらってきました。旅行会社の海外旅行のパンフレットのように立派でした。「自然に帰りたい、故人の遺志を尊重」「最後は私たちを育んでくれた美しい自然へ・・・・」「蒼き海への散骨」「お墓を持たないという選択・・・・・」「散骨代行プラン50,000円」美辞麗句が並んでいます。
パンフレットは南の海の明るいイメージですが、実際散骨される東京湾は灰色の海で、風や波があり船がよく揺れましたとのこと(見学会で船に乗ったという人の話)。
この業者も言ってますが、「散骨はお墓ではない」ということです。二度目、三度目のお参りがないからです。海に骨を撒くということは、酷な言い方では海に骨を捨てるということです。この埋葬方式が死者への尊敬と愛にあふれたものとは、到底思えません。親が亡くなるということは、施主(多くは長男)にとって心理的にもおおきな負担です。そのような心の隙間、迷いに散骨屋さんがつけ込んでくるのです。
遺骨が手元になくなれば、一時的に気持は楽になるかもしれませんが、自分を何十年も育てて、高校・大学まで出してくれた両親のお骨と心のつながりを、このような形で手放してしまったという思いは、逆に将来、心の負担・重荷にはならないでしょうか。
「上を向いて歩こう 涙がこぼれないように 思い出す春の日 ひとりぼっちの夜・・・・・」
人間は死ぬ時は一人です。一人ぼっちはさみしくて嫌いだから、死んだら墓を建ててもらって、連合いや子供や孫に、大勢でお参りに来てもらいたいのだと思います。
「墓」という文字を辞書「漢字源」(籐堂明保編)で調べると、「土の下に死体を埋めて見えなくし、草の中に太陽が沈んで行くとの意」とあります。また別の意味では、太陽と同じく、一度大地に没しても、再生して生まれ変わってくるようにとの、願いも込められているそうです。
この地球上で墓をつくる動物は、人間だけです。人類が誕生して2万年以上といわれますが、墓をつくってきた種族だけが生き延びてきています。なぜ人間は何千年も、何万年も墓を造り続けてきたのでしょうか。人は死者の遺体が他の動物に食べられないように、土に埋め石でフタをしました。死者への感謝・尊敬・憐憫(れんびん)の思いと、死後の祟りを恐れ、家族子孫の継続と繁栄、豊かである事を願ったのです。生花や水・供物・香料(線香・他)を捧げ祈りました。よく祀ることで、死者・先祖の魂は悪霊から、良い霊(氏神様や田の神、他)になり、子孫を守ってくれると信じたのです。柳田國男「先祖の話」には、草葉の陰で父母が自分を見ているとあります。
昨年8月のお盆、夫婦で長崎を旅行しました。坂本龍馬の「亀山社中」の史跡を訪ね、狭い坂道を下りてくると、お寺が連なる寺町に出ました。時刻は夏の夕方6時過ぎ、寺の前を手に提灯やお花やお供え物を持たれたおじいちゃんとご夫婦、楽しそうな小学生がふたり、歩いて行かれました。家族三代揃ってのお盆のお墓参りです。きっと、お墓の中で眠るおばあちゃんも喜んでいるのではと、感動しました。
子供の頃から親と一緒に墓参りをすることは大切なことです。
草をむしり、タオルで墓石を拭いて、花を生けて、供物を供え、線香に火を灯す。合掌して祈りを捧げる。少年が大人になっても、その記憶は一生残るでしょう。老人や弱者へのいたわり、命の大切さがわかって、子供たちが優しい人になれば、これ以上の教育はありません。
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